静岡鉄道
Shizuoka Railway




乗車日:March 11, 2006





静岡鉄道は、新静岡と新清水を結ぶ
11.0kmの路線を持つ私鉄です。

平成の大合併で、今はこの路線は
静岡市内だけを走っていますが、
県都・静岡と港町・清水を結ぶ郊外路線です。





この静岡鉄道は、1908年(明治41年)の創業で、
歴史は古く、一時は、静岡県遠州地方に
多くの軽便鉄道の路線を持つ大私鉄でした。

藤枝や袋井から御前崎や遠州森へ
路線が延びていたようです。

それらの路線は例によって衰退し廃止となり、
利用客の多い今の路線だけが生き延びたようです。


この静岡鉄道に 2006年3月中旬に乗車しました。

新幹線を下り、静岡駅前の地下街を抜け、
静岡鉄道の新静岡駅を目指します。

駅は駿府城から程近いところにありました。

静岡の散策記はこちらです。
駿府城の様子はこちらです。


地下の改札からホームに上がると
次の発車は12:36でした。
6分毎の発車で、列車の運転頻度はとても高く、
気軽に乗れるダイヤになっています。

切符を買い、地上のホームに上がると
2線3面のホームが現れました。

しばらく待つと、新清水から2両編成の
ステンレスの電車が到着しました。



地方の私鉄に行くと、東京あたりの私鉄の
中古車両を使っているところが多いのですが、
この静岡鉄道は自前の車両を使用しているようです。


乗客がちらほら乗車したところで、
定刻となり発車しました。

静岡の繁華街をカーブしながら進み、
日吉町、音羽町と路面電車と同じような
短い間隔で、駅に止まっていきます。



写真左が日吉町、右が音羽町の様子です。

線路は電化複線されており、
対向の電車が颯爽とすれ違って行きました。



密集地を抜け、国道一号線に
沿ってしばらく走りました。

短期大学の最寄駅の柚木を
過ぎると、長沼です。



ここには車両基地があり、
昔の古い車両も保存されていました。


次の古庄を過ぎると、築堤を駆け上がり、
進行方向を右に変え、新幹線と
JR東海道線の線路をオーバークロスしました。



前方には日本平も見え、
市街地を走る静岡鉄道としては
開けた車窓風景です。

生憎、新幹線・東海道本線とも
列車は通らなかったのですが、
僅か2両の電車が長大な編成の新幹線や
貨物列車を跨いで走っていくというのは
どことなくユニークです。


東海道本線の南に出ると、
県総合運動場や県立美術館前
と言った駅を過ぎます。

この辺りが、旧静岡市と旧清水市の境で、
比較的開けた日本平の麓に
文化施設が建てられているようです。

草薙、御門台と由緒ある名前の駅を過ぎます。
草薙の地名は日本武尊を祀る古い神社に由来し、
御門台も、後の景行天皇が
日本武尊の足跡を巡る旅の途中、
この地を訪れた事から名づけられたそうです。

住宅地と田畑が混在するところを走り、
やがて、JR東海道本線と併走しました。



実は、JR東海道本線の静岡 - 清水間は
何度か乗っているのですが、
静岡鉄道がJR東海道本線と
併走しているというのは、
全く、気が付いていませんでした。

家に帰ってしらべてみると、
1950年(昭和25年)には、
貨物列車がこの併走区間で脱線転覆し、
応急処置の為、東海道本線の列車を、
静岡鉄道の線路の上を走らせたそうです。

当然、静岡鉄道の運行は中止になった訳で、
今では考えられない処置です。

特急「ワードビューふじかわ」とすれ違いました。



東海道本線との別れ、
運河のような巴川を、
最徐行でゆっくりと渡りました。



終点の新清水はもうすぐです。
新清水は2面2線の行き止まり構造の駅でした。



ホームも2両編成の電車ぎりぎりの長さで、
こじんまりとした感じでした。

新静岡から20分、予想以上の
発見のあった鉄道旅行でした。



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