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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



伊予鉄道 坊ちゃん列車
Iyo Railway, Replicated SL Train







伊予鉄道は歴史の古い鉄道で、
1888年(明治21年)9月23日に
松山 - 三津間が開業しています。

この時は勿論、蒸気機関車が牽く
列車が運転されていました。

機関車はドイツ・クラウス社製のものだったそうです。
当初2両だった蒸気機関車も、
線路の延長や運転本数の増加にともない、
明治45年までに全部で16両まで増えました。

その間に松山に赴任した夏目漱石が
「坊ちゃん」を書いた事から、
この蒸気機関車が牽く列車を
「坊ちゃん列車」と呼ぶようになったようです。

その後、1911年(明治44年)には早くも電化が始まり、
1931年(昭和6年)の高浜線の電化を機に、
「坊ちゃん列車」は運用からは外されてしまったそうです。

第二次大戦で松山市内も大きな被害を受け、
戦後、郊外路線で再び現役に就いた
「坊ちゃん列車」ですが、1954年(昭和29年)に
廃車になってしまったとのことです。


引退後は道後公園や梅津寺パークに
保存されていたのですが、「坊ちゃん列車」の
復活を望む声が松山市民の間から湧き上がり、
ついに2001年1月に伊予鉄内部で
「坊ちゃん列車」復活に向けた
プロジェクトが立ち上がったようです。

「坊ちゃん列車」を復活させるにあたっては
蒸気機関車では煤煙の問題があり、
形を似せたディーゼル機関車としたり、
色々な課題があったようですが、
2001年10月から、運行を再開しています。


この復活なった「坊ちゃん列車」に
2005年5月3日、古町発8:41発
道後温泉行きに乗車しました。

少々寝坊したりしたので、途中から
タクシーで古町駅に向かいました。

マッチ箱のような客車を2両繋いだ、
外観は蒸気機関車そのものの
ディーゼル機関車が入線してきました。



車内は10人も乗車すると満員に
なってしまうほどの狭さです。

人気の高い「坊ちゃん列車」ですが、
朝一番の古町発の列車は
あまり乗り込む人も無く空いていました。



機関車には二人の機関士と
当時の制服を着た車掌さんの
3名が乗務していました。



古町を発車し、しばらく専用路線を走り、
最初の停車駅、JR松山駅前に着きました。

ここで数名の乗車がありました。
JR松山駅前を過ぎ、高浜線との
交差を過ぎると西堀端です。



西堀端の交差点で、南に進路を取りながら
本町線の線路と合流しました。

ここからお堀端を走りました。
車内から松山城も見えました。



この松山城へは、道後温泉への
帰りに行ってみました。

松山城への様子はこちらです。


お堀端に沿って走った後、
松山市内随一の繁華街、
大街道に止まりました。

お店が開く時間にはまだ間があり、
あまり人通りは多くないのですが、
日中はきっと注目を集めるのでしょう。

登場から3年半が過ぎ、「坊ちゃん列車」も
松山の人には既に御馴染みの
存在となったと思うのですが、
併走する車の人からは、
幾度と無く視線を感じました。

広々とした通りを走り、
湯殿城跡を公園とした道後公園を
過ぎるといよいよ道後温泉です。



古町から25分の小旅行でした。


これで「坊ちゃん列車の旅」は終わりなのですが、
列車の向きをどのように変えるのか
興味があったので、引込み線に向かう
機関車の後を追ってみました。

通常の蒸気機関車では、ターンテーブルという
装置に乗せて機関車の向きを変えるのですが、
路面電車の終着駅・道後温泉には
そのような設備はありません。

どうするのかな、と思ってみていると、
機関車の床下から出てきた
ジャッキのようなもので車体を持ち上げ、
それでクルッと向きを変えていました。



この後、切り離された客車を、
車掌さんが押して機関車に連結させれば
列車の方向転換は終了です。

「坊ちゃん列車」の運行には色々な
アイデアが生かされている事を知って、
とても面白かったです。


そして、道後温泉駅



まだ10時前というのに、
多くの観光客で賑わっていました。
方向転換を終えた「坊ちゃん列車」も
駅前広場に展示されるように
停車しています。

坊ちゃんやハイカラさんに扮した人が
「坊ちゃん列車」をバックに
写真を撮ってくれました。

復活なった「坊ちゃん列車」は
松山観光に一役買っているようでした。



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