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南海鉄道高野線。正式には難波の西にひっそりと佇む
汐見橋から南海本線との接続駅、岸里玉出駅を通り、
和歌山県橋本市を通り、極楽橋までの64.3kmの路線です。
大和平野の各都市からの多くの通勤客が利用するので、
南海電鉄で最も混雑する路線になっているそうです。
列車の運行形態は、路線区間とは異なっていて、
すべての列車は南海本線の難波を出た後、
岸里玉出から高野線に乗り入れており、
汐見橋 - 岸里玉出間は2両編成の電車が
のんびり走る別区間の様になっています。
起点の汐見橋はいかにものんびりとした、
一見鄙びたローカル駅のたたずまいです。
さて、この南海・高野線を走る、
看板特急「こうや」号で高野山に向かったのは、
1993年 4月23日のことです。
「こうや1号」は、難波 9:15発。
独特の流線型に赤い帯の塗色です。
平日の朝郊外に向かう列車なので、
車内は閑散としていました。
大阪市内の南部を複々線の高架で抜け、
あっという間に分岐駅の岸里玉出を過ぎました。
堺市を過ぎ富田林市に入ると郊外の住宅地が広がり、
河内長野市に入ると、周囲に緑が現われ
丘陵地帯となってきました。
この近くにはその昔、楠正成が兵を挙げた
赤坂千早城のある和歌山県との県境に
葛城山地の山々が広がっているのですが、
難波から僅か35km程の距離なので、
線路沿いの谷間には高層アパートが立ち並んでいます。
谷を下りた橋本からは景色は鄙びたものとなります。
狭い谷に分け入り、勾配も厳しいのか
列車も速度を落として、ゆっくり走ります。
4月も半ばを過ぎていましたが、
山間の桜は満開で、車窓風景を楽しませてくれました。
橋本から30分で、終着極楽橋に着きました。
難波から1時間15分。あたりは山また山のところで、
ここで降りた乗客は駅舎を出たところにある、
ケーブル乗り場で山の上の高野山に向かいます。
「こうや号」の乗客は僅かしかいませんでしたが、
それでも小さなケーブルカーには、乗り継ぎ客で
そこそこ、混みあっていました。
ケーブルカーは思いも寄らぬ勾配で山を上ります。
実際の勾配は30°程と思うのですが、
極楽橋の駅舎が見る間に小さくなってしまいました。
こんな深いに山の上に町があるとは
俄かには信じられません。
極楽橋から10分ちょっとで、高野山駅着。
赤い屋根の、どことなく神社の建物のような駅舎です。
駅前からバスに乗り、うっそうとした山を抜けると、
思いもかけず、高野山町の街並みが広がっていました。
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