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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



宗谷本線
(旭川 - 稚内)

Soya MainLine
(Asahikawa - Wakkanai)


乗車日:July 17, 1992




宗谷本線は、旭川から稚内までの
全長259.4kmの路線です。

日本で最も北の路線です。
沿線の人口密度が低い為、
昨年までは一日4本の急行列車が
のんびり走っている路線でした。

昨年やっと特急が走り出すようになり、
札幌と稚内間を5時間弱で結ぶようになりました。


その宗谷本線に初めて乗ったのは1979年。
天塩川の流れに沿って走る
宗谷本線の景色に魅せられ、
その後も何度か稚内を訪れました。

1992年の夏もオホーツク海沿いを
稚内から紋別の先、遠軽まで
バスで南下する計画を立て、
宗谷本線に乗って稚内に向かいました。




寝台列車「北斗星」で北海道に入り、
当時新規に開通した新千歳空港への
路線に乗車した後、旭川に出て、
名寄行きの普通列車に乗りました。

キハ56の2両編成のディーゼル・カー
キハ56は以前は急行列車に使用されていた車両で、
4人掛けのボックスシートが並んでいます。
窓は2重窓の北海道仕様となっていて、
冬の厳しい気候が伺えます。

旭川からしばらくは平野の中を走ります。



畑の中に真っ直ぐに敷かれたレールが、
流れ去って行きます。


広々とした平野が尽き、
峠に差し掛かりました。
この峠が塩狩峠です。

連結器が外れ峠を下りだした列車を
身を挺して停め、殉職した車掌の実話が
三浦綾子さんの小説になっています。



深い針葉樹林の峠を抜け、
再び平地を走りました。
田畑が遠くの丘陵地まで
広々と広がっています。

やがて列車の終点、名寄に着きました。


名寄は以前は名寄本線、深名線と交わる
鉄道要衝だったところで、
僕もその昔、これらの路線を訪れた時、
名寄で一泊した事があります。

でも今はこれらの線区は廃止になってしまい、
名寄は単なる通過駅となってしまいました。
その昔、石炭を積んだ貨物を牽く
蒸気機関車がたむろしていた広い構内は、
整地されていて、空き地の向うに
朽ちかけた給水塔が見えました。




名寄で音威子府行きの普通に乗り換えました。
名寄までは比較的多くの列車が走っていますが、
ここからは4本の急行列車(当時)の他に、
5本の普通が走るのみ。

車窓も稲作の北限を過ぎ、
一層寂しくなってきます。

乗客も少なく、ひっそりとしていて、
のどかな景色を見ながらうとうとし始めた時、
車内に賑やかな幼稚園児の歓声が響きました。

美深から遠足で乗り込んだ様ですが、
僅か3駅先の恩根内で
園児達が下車してしまいました。



園児達の歓声がなくなると
また、静かな車内に戻り、
まどろむような時が過ぎました。


天塩川に寄り添いながら、
名寄から1時間程で音威子府です。



音威子府はアイヌ語で、
"河口が濁っている"という意味だそうで、
北を目指して流れていた天塩川が、
西に曲がったところに位置しています。
行く手を山に遮られ、流れの緩くなった
天塩川の様子からこの名が付いているのでしょうか。


音威子府では1時間半ほどの待ち合わせで
稚内行きの列車に乗り換えです。

このあたりまで来ると、
30分や1時間という時間は
ぼんやりしているうちに
あっという間に過ぎてしまうのですが、
さすがに1時間半というと、
時間を持て余します。

駅舎を出て天塩川の河原まで行ってみました。



山あいに赤いトタン屋根の小さな集落があり、
その集落の脇を天塩川が滔々と流れています。
静かな山間に、川の流れる音が響き、
まるで時が止まってしまったかの様でした。

音威子府の駅に戻ると、稚内行きの急行が
丁度発車する頃でした。



この急行に乗れば1時間以上早く稚内に着くのですが、
折角の景色をのんびりと眺めていたいので、
このまま普通列車の旅を続けました。


天塩川の流れを眺めてリフレッシュして、
いよいよ、稚内までの最後の道のりです。
音威子府から稚内までは130.2kmの道のりで、
さらに2時間40分以上もかかります。

音威子府から先は、天塩川の流れに沿って走ります。
天塩川はまさに自然のままと言った感じで、
水量も多く、堤防もない山あいを流れています。
水量の多い川の流れが、逆光に輝いていました。

 

僕は日本の鉄道の車窓風景の中で、
この自然のまま流れる天塩川に沿う、
宗谷本線の眺めが一番好きです。

周囲は人家も稀で、一人でいると
ひしひしと孤独感を感じるのですが、
ガラガラの車内でこの景色を独占出来るのは
なんと幸せなんだろうとも思います。


30分程、天塩川沿いに走り、
雄信内あたりから次第に原野が広がり、
牧草地の中を走る様になりました。



牛や馬がのんびり草を食んでいます。
陽も西に傾きはじめました。

幌延を過ぎ、このサロベツ原野と呼ばれる、
泥炭質の荒野が広がる様になりました。

このあたりに住んでいる方には申し訳ないのですが、
いかにも"最果て"という感じがしてきます。


小さな駅に停車しました。
確か下沼駅だったと思います。

あたりに人家もなく一本の道が
原野の向うに延びているだけです。
淋しい車内に残っていた、若い女の人が
ふらっと、この駅で降りていきました。

この駅に停まる列車は一日4本。
この宗谷本線を彼女は毎日の足として、
使っているのでしょうか?
ふっと、そんな事を考えてしまう程、
寂しい駅でした。


列車はサロベツ原野の東端を真っ直ぐ北上し、
やがて兜沼の駅に着きました。



兜沼はサロベツ原野の北端の小さな湖です。
北海道の短い夏、野花が咲いていました。


兜沼を出るといよいよ稚内への最終コース。
カーブを切りながら最後の丘陵地を乗り越え、
日本海に出ました。



抜海という地名のこの海岸からは、
晴れていれば、日本海から湧き上がる様な、
険しい三角錐状の利尻岳の姿を見る事が出来ます。

まさに抜海という地名がぴったりなのですが、
あいにく雲が広がり、利尻岳の姿を
見ることが出来ませんでした。



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