Home
Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



寝台特急「なは」 (京都 - 熊本)
Limited Express 「Naha」
(Kyoto - Kumamoto)



乗車日:Mar. 29, 2007






寝台特急「なは」は京都 - 熊本間763.4kmを結ぶ列車です。
「なは」が登場したのは、史上名高いヨンサントウ
(昭和43年10月=1968年)のダイヤ改正時で、
京都 - 長崎・西鹿児島(現:鹿児島中央)間の特急「かもめ」の
京都 - 西鹿児島間の編成を「なは」と名付けたのが始まりです。

戦後まだ復帰していなかった沖縄の日本復帰を
願って付けられた名前と聞いた事があります。

1975年(昭和50年)に新大阪 - 西鹿児島間の
寝台列車として583系電車寝台での運転になります。
この年のダイヤでは、京阪神と西鹿児島・熊本を結ぶ
寝台特急「明星」が7往復も運転され、
ブルートレインの全盛期を迎えます。

その後、関西発着の寝台列車が次々に
廃止されていく中「なは」は生き残ります。

2004年(平成16年)に九州新幹線が開業すると
運転区間が熊本までと短縮されてしまいます。
さらに乗客減少にともない、2005年(平成17年)に
京都 - 長崎間の寝台特急「あかつき」と併合され、
京都 - 熊本間の特急として現在に至っています。


こうして特急「なは」の歴史を辿っていくと、
1970年代後半からの寝台列車の
凋落ぶりが目立ってしまいます。

僕自身も日本国内で寝台列車に乗るのは
10年以上ぶりの事でした。

「なは」は京都を20:08発です。
15分ほど前に新幹線で京都入りし、
夕食と飲み物を買い込んでホームに向かいます。



「なは」は既に入線していました。

まずは先頭の機関車を眺めに行きました。

客車寝台列車の「なは」を
牽引するのはEF66という機関車です。



先頭の機関車の写真を撮って徐に
指定してあった個室寝台に向かいました。



特急「なは」の編成は、機関車の後ろに
客室への電源供給も担う荷物車が続き、
開放式寝台車2両、そして個室寝台2両の計5両編成です。

「なは」の編成の後ろに6両の
長崎行き「あかつき」の編成が続きます。



上の写真は個室寝台車です。

開放式寝台車というのは、蚕棚のように
上下2段のベットが向かい合うように並んでいて、
カーテンこそあるものの、通路からすぐ
ベットがあるという構造になっています。



上の写真の左側が個室寝台車、
右側が開放式の寝台車です。

発車前にざっと見回った感じでは、
かなりのベットが空いていて、淋しい感じです。

1970年半ばまでは、15両編成の寝台列車が
何往復も東京や関西と九州との間を走り
乗車率が高かったのですが、この車内の状況からは
そういう時代が有った事が信じられない程です。


「なは」「あかつき」は20:08に定刻に発車しました。
早速、個室内でビールとお弁当で夕食を摂りました。
列車内で供食サービスがないので、
飲み足りなくなったり、夜中にお腹が空かない様に
多めに買い込んでの夕食でした。

京都から26分で、新大阪に着きました。
新大阪では7分の停車です。
個室寝台から眺めた新大阪駅のホーム。



隣のホームには多くの帰宅途中の
サラリーマンが通勤電車を待っていました。

7分の停車中に快速電車に抜かれ、
20:35に発車しました。
街灯りのなか淀川を渡り、大阪に停車します。BR>



大阪駅では同じホームの向側に新快速が
到着するので、多くの通勤客で慌しい感じです。

大阪駅でも「なは」が6分間停車している間に
後からやって来た新快速に先を越されてしまいます。



その間に、再び先頭の機関車の写真を撮りました。
京都駅でもそうでしたが、機関車がホーム先端の
ギリギリのところに停車しているので、
なかなかいアングルで写真が撮れません。
大阪駅を出て車窓から望む高層ビルです。



寝台列車に乗って、ベットに横になりながら
大都市の灯りが通り過ぎていくのを眺めるのは
車窓の外の現実が、自分から遠ざかっているようで
なかなか楽しいものです。

京阪神の東海道本線、山陽本線は複々線なので
車窓に併走する通勤電車の灯りが見えました。



神戸を過ぎ、明石海峡大橋の灯りを眺め、
姫路を過ぎた頃に床に就きました。


寝入ったものの、揺れや走行音で
なかなか深く眠ることは出来ませんでした。

音に対する、車両の心配りがアメリカや
ヨーロッパの列車よりも劣るようです。

夜半に長い間停車していたような気もしましたが、
それでもしっかり寝ていたようで、
博多到着のアナウンスで目を覚ましました。

アナウンスによると山陽本線で強風の為、
一時運転が見合わされていたようで、
30分程の遅れとなっているようです。
長崎方面の「あかつき」の乗客には
特急「かもめ」への乗り換え案内がありました。

まだ朝明けやらぬ車窓に、博多の南の
丘陵地帯の風景が流れていました。



利用客の少なくなってしまった九州ブルートレインですが、
寝ている間に、京都や大阪から博多まで来てしまうのは
やはり、素晴らしいなと思えてきます。

少々寝不足気味でぼんやりとしながら
車窓風景を眺めているうちに
朝陽が薄曇の空を赤く染めながら
昇ってきました。



普段は朝寝坊なので、こうして朝陽を
眺められるのも寝台列車に乗ったからこそです。


身支度をするうちに鳥栖に到着しました。
鳥栖で3度機関車の写真を撮りました。



直流から交流電化に切り替わる関門トンネルを
挟んで、寝ている間に2度機関車が交換され、
門司からは赤い交流機関車が牽引しています。

そして、この鳥栖で熊本行きの「なは」と
長崎行きの「あかつき」の編成が分離されます。



二つの列車の間の幌や電源ホース類が外されます。
特急「なは」の編成がゆっくり発車すると、
後方に特急「あかつき」の編成が残されました。

この後、「あかつき」の編成には別の
機関車が連結され、長崎に向かいます。


筑後川を渡り、田園風景が広がるようになりました。



列車の最後尾に行ってみると、
流れ去るレールが見えました。



個室寝台車からのんびり景色を眺めるうち
田原坂を過ぎ、終着熊本に到着しました。



定刻の約30分遅れての到着です。

途中で「リレーつばめ号」に乗り換えた人もいて
特急「なは」から降り立った人はごく僅かの乗客でした。


乗客数が減少し、先行きが懸念される
九州方面の寝台特急ですが、
現在の車両設備では寝台料金が割高なので
値下げをするか、新型車両を投入するか
なんとか列車を魅力あるものにして
存続を図って欲しいと思います。


「なは」に乗った後に訪れた
熊本城のページはこちらです。




JR編に戻る


Home
Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない