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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



オホーツク海沿岸バス紀行
(稚内 - 浜頓別 - 北見枝幸 - 紋別 - 遠軽)

Bus Trip along Okhotsk Sea
(Wakkanai - Monbetsu - Engaru)


乗車日:July 18, 1992




宗谷本線の普通列車で稚内まで北上した翌日、
バスでオホーツク沿岸を辿りました。
宗谷本線の旅の様子は こちらです。

その昔、オホーツク海沿岸には、
いくつもの鉄道路線が存在していました。

さらに計画線もいくつかあり、
いつの日にかオホーツク海に沿って、
鉄道だけで網走から稚内まで、
行けるようになるのでは?
と、期待を抱いていた頃もあったのですが、
事実はその逆で、すべての鉄道が
廃止に追いやられています。

今、列車の車窓からオホーツク海が見られるのは、
釧路から網走に向か釧網本線の
一部区間だけになっています。

この旅は、そんな無残な夢の跡を辿る旅でした。




行程は以下です:
稚内→浜頓別→北見枝幸→興部→紋別→遠軽


稚内 → 浜頓別

バス旅行のスタートは南稚内のバス停からです。
前日駅前のビジネスホテルに宿泊し、
6:22のバスで浜頓別に向かいました。

このバスは1989年に廃止された
天北線に沿い、浜頓別を経由し、
音威子府まで向かいます。

どんなバスかと思ったら、
観光バスの様なタイプで、
早朝というのに、観光客風のカップルも
一緒にバスに乗り込みました。

稚内の市街を抜け、宗谷湾沿いに走ります。
稚内の街を海越しに眺めながら、
国道238号線を走り、
6km程走った声問から国道と分かれ、
南に向かいました。

進行右手には原野が広がり、
廃止された天北線の赤茶けたレールも
車窓から見えました。



人家もまばらな地域なのですが、
バスは時折、主要道からはずれ、
昔の天北線の駅の跡に立ち寄りました。
乗り降りする人はもとより殆んどいません。

僕が天北線に乗ったのは、
今から20年程前の1979年の秋分の日。
今日と同じ様に稚内発の列車に乗ったのですが、
お墓参りに向かう人たちで、列車は混んでいました。

鉄道が廃止になり寂びれた駅の跡を見ると、
あの時、列車が混んでいたのが
信じられない思いです。


20km程南下した曲淵から東に向きを変え、
峠越えとなります。

寂しかった車窓が、いっそう寂しくなり、
周りには人家が全くありません。
そんなところに鉄道が敷かれていた
というのも、驚きなのですが・・・

久しぶりに人家が現れると鬼志別。
あまりに寂しい車窓だったので、
家を見るとなんだかホットする様な感じです。

やがて海に突き当たり、右折します。
久しぶりに見るオホーツク海。
この日は穏やかに凪いでいました。

ここからは左手にオホーツク海、
右手に原野という景色がしばらく続きます。
周囲には原生花園も広がり、
南稚内で乗り合わせたカップルは、
このあたりで下車しました。

原野の中にクッチャロ湖が
見えると、浜頓別です。


バスは新しいバスターミナルに到着しました。
そのバスターミナルの裏側は、
かつての国鉄天北線浜頓別駅の跡地で、
真っ赤に錆びたレールが所々に放置され、
昔の信号機も侘しく打ち捨てられていました。



下の写真は1979年当時の浜頓別駅です。





浜頓別 → 雄武

稚内からのバスはここから
音威子府を目指すのですが、
ここで、北見枝幸行きのバスに乗り換えました。

浜頓別から北見枝幸間は、興浜北線という
営業キロ30.4kmのローカル線が走っていました。

1979年にこの浜頓別を訪れた時には、
興浜北線に乗るために、
北見枝幸まで往復したのです。
当時は6往復の普通列車が走っていましたが、
1985年に廃止されてしまいました。

"興浜"とは紋別の北にある興部と
この浜頓別の頭文字を1つずつ取った路線名で、
当時は、興浜北線と興部と雄部間19.9kmの
興浜南線を結ぶ計画もあった様です。


バスターミナルの近くのお店で買った
食パンと牛乳で朝食を済まし、
16分程の接続で、北見枝幸行きのバスが発車しました。

乗客は少なく、バスは閑散としていました。
浜頓別からはオホーツク海に沿って走ります。
やがて、車窓右手に山塊が現れ、
オホーツク海に近づいてきます。

いよいよゴツゴツした岩肌の山塊が、
海にせり出す様に海岸線
ぎりぎりまで迫って来ました。

ここが斜内山道と呼ばれる難所です。



今では道路は完全舗装されていて、
バスは快適に岩肌の下を抜けて行きますが、
興浜北線は半径170mの急カーブで
この斜内山道の真下をすり抜け、
列車は最徐行で走り抜けていました。


斜内山道を過ぎると、
海岸段丘が続き、遠くに
北見枝幸の町も見えてきました。



自然のままの海岸線が続いていました。

浜頓別から50分程で北見枝幸着。
北見枝幸のバスターミナルも真新しい建物で、
道路は挟んだ向かいは広場になっていました。

ここが旧北見枝幸駅の跡の様で、
広場には碑も建っていました。

下の写真は1979年当時の北見枝幸駅。



周囲の様子はすっかり変わっていたので、
よく思い出せなかったのですが、
駅前の古びた旅館に見覚えがありました。


北見枝幸で30分ほどの待ち合わせで、
雄武行きのバスに乗り換えです。

北見枝幸 - 雄武間は約50km。
単調な海岸線が続き、時折小さな岬が現れます。
単調な車窓に時折居眠りしているうちに、
雄武に到着。
北見枝幸から1時間14分が
あっという間に過ぎてしまいました。
時刻は11時14分。
早朝に稚内を出て既に
5時間程経過しています。



雄武 → 遠軽

この雄武は興浜南線の終着駅だったところです。
ここも駅の跡地にバスターミナルが出来ていますが、
興浜南線には乗ったことが無いので、
想い出に浸ることは出来ません。

雄武での接続は40分程。
長時間のバス旅で疲れ気味の身体をほぐす為に
雄武の街中を散歩していました。

雄武はオホーツク海に沿う小さな港町。
街の中心にある雄武神社まで行ってきました。


雄武からのバスは、オホーツク海沿いに走り、
やがて海を離れ、大きな橋を渡り、
まとまった集落へと入りました。

この集落が興部。
紋別から名寄に向かう名寄本線と、
雄武に向かう興浜南線の接続駅だったところで、
バスは旧駅跡のターミナルに立ち寄りました。

再びオホーツク海沿いを走り、
集落が増えると紋別です。
久しぶりの市制を敷く町に入りました。
寂れた海岸線を走って来た後だけに、
商店街が並ぶ繁華街が続く街並みを見ると
随分大きな都市に来たような感じがします。


ところで、このバスの行き先は紋別なので、
てっきり旧紋別駅のあたりが
終着と思っていたのですが、
商店街を過ぎてもバスは更に進み、
やがて、町外れになってしまいました。

さすがにおかしいと思い、
運転手さんに聞いてみたら、
バスは町外れの市民病院行きで、
紋別の中心街はやはり先ほどの
商店街のあたりとの事。

もう1時を回ってお腹が空いてきたのですが、
あたりにはレストランもありません。
何よりこの後、遠軽に向かうバスが
ここを通るのか定かではないので、
紋別の中心街まで戻りました。

これは旧紋別駅跡。



古い駅舎や駅前広場が残っていますが、
車が数台停まっているだけで、
行き交う人も少なく
閑散とした雰囲気です。

開いていた食堂で遅めの昼食を摂り、
遠軽行きのバスに乗り込みました。

稚内から5つめのバスで、
オホーツク海沿岸バスの
旅の最終ランナーです。

オホーツク海を時折左に見ながら、
原生花園の中をバスは走ります。
7月半ばというのに、菜の花が咲き出していて、
黄色い絨毯の様な菜の花畑が車窓に現れました。



広々とした原野と針葉樹の森そして
牧草地が交互に現れるようになりました。



写真は、オホーツク海の潟湖・コムケ沼畔の景色。
針葉樹の向うにコムケ沼が広がっていました。


しばらくして湧別の町に入りました。
いかにも最果てといった
佇まい中をバスは走りました。

湧別は小さい街なのですが、
街の中心の中湧別駅は往時は
紋別・遠軽・網走への接続駅でした。
中湧別からはこの他にも海岸寄りの集落への
短い路線もあって、街の規模の割りには
賑った駅でした。

僕も網走から能取湖、サロマ湖畔を
巡る湧網線に乗った時に
この湧別の街に泊った事があります。

その時は冬だったのですが、
湧別で一夜を過している間に
猛吹雪となり翌日に昼過ぎまで列車が動かず
旅館に缶詰になったことがありました。

そんな湧別の町なのですが
中湧別駅の跡も定かではなく、
どこかに見覚えのある建物はないかと探すうちに、
小さな集落は過ぎ去ってしまいました。

湧別からオホーツク海を離れ、
広々とした原野を走り、
遠軽の町を目指しました。

そして午後4時過ぎ、
遠軽駅にバスが着きました。



稚内から約260km、
10時間近いバスの旅。
オホーツク海の景色を
堪能出来た旅でした。



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