撮影: 2010年10月
2010年10月に直江津から長野に向かった際の様子です。
当時は既に新幹線の高架橋も出来上がっていました。
駅の位置が変わってまだ2年程ですが、地図で見ると
以前の線路は跡形もなく無くなっているようです。
しばらく走ると新幹線の高架橋の向こうに
妙高山が見えるようになりました。
撮影: 2015年5月
この先で集落が増えてきました。
南高田駅到着の手前の様子です。
撮影: 2015年5月
上越市の市街地に入ったようです。
こうして、妙高高原から48分程で高田に到着しました。
撮影: 2015年5月
上り線ホームに新井行の特急「しらゆき」が停車していました。
2015年5月には、この高田で下車しています。
高田 - 直江津
高田までは2015年5月に乗車した際の様子を紹介しましたが
この時は高田で下車している為、高田から直江津の間は
2010年10月に乗車した際の様子を紹介します。
この日は、新潟を6:46発の普通列車に乗り、長岡で
乗り継いで直江津に着き、春日山城を訪れました。
春日山城の登城記はこちらです。
春日山城から戻り、15:36発の長野行に乗車しました。
撮影: 2010年10月
この時は、北陸新幹線はまだ長野止まりで、
直江津から長野に向かう路線は、JR信越本線でした。
長野行の電車は、旧国鉄時代の115系と呼ばれる車両です。
現在では、えちごトキメキ鉄道妙高はねうまラインとなり、
長野方面の列車は県境に近い妙高高原止まりになっています。
直江津を発車すると広い構内に配置された
複雑なポイントを渡って行きました。
撮影: 2010年10月
幾つもあった線路が集約され、糸魚川方面の線路と
左に分岐する長野方面への線路が残りました。
糸魚川方面の複線の線路は、当時の北陸本線です。
今は、えちごトキメキ鉄道日本海ひすいラインになっています。
複線の長野方面の線路も、この先で単線となり、
小さな御館川を渡りました。
撮影: 2010年10月
うっかりしていましたが、御館は上杉謙信亡き後、
上杉景勝と上杉景虎の間で勃発した家督争い
御館の乱の舞台になったところです。
御館があった場所は、糸魚川方面の線路と
長野方面の線路が分岐する辺りだったようです。
直江津から南下し、上越市の中心地に差し掛かりました。
撮影: 2010年10月
上越市は直江津と高田の両市が合併した市ですが、
市役所はその中間の春日山駅近くに置かれ、
その周辺が市街地化しているようです。
春日山駅で小学生程の兄妹が下車していきました。
撮影: 2010年10月
市役所の最寄駅ですが、一日の乗降客数は
1,500人程度で、直江津や高田の約1/3程度です。
春日山駅を発車すると進行右手に
春日山城が見えてきました。
撮影: 2010年10月
春日山城の登城記はこちらです。
車窓から戦国時代の古城を眺めるのもいいものです。
その前方には妙高山へと連なる山々が
西陽を浴びる姿が見られました。
撮影: 2010年10月
こうして、直江津から2駅目の高田に到着しました。
JR時代の高田駅には自動改札機が備わっていました。
撮影: 2010年10月
その後、2015年5月に高田を訪れる機会がありました。
観光列車「越乃 Shu*kura」の案内板がありました。
撮影: 2015年5月
新幹線開業の陰で、在来線は切り捨てられ、
第三セクター化されるのが恒例ですが、
こうした観光列車は、期待も高いのでしょう。
えちごトキメキ鉄道になった後の
高田駅改札口です。
撮影: 2015年5月
JR時代の自動改札は取り払われ、
昔ながらの改札口になっています。
下車して眺めた高田駅の駅舎です。
撮影: 2015年5月
日本の民家を模しているのでしょうか。
特徴ある美しい駅舎でした。